Jewelist Mei |

序章 強襲

1 / --

<メイ・・・・・・本気でやるつもりなのか?>
 背後から、酷く耳障りなダミ声が問い質した。
 芽依メイと呼ばれた少女がやおら振り向くと、よいやみに紛れ、人間の膝丈ほどもある巨大なかえるが直立で腕組みをしていた。
 蛙と言い表したのは分類学的特徴が最も近しかったからであって、同種に並べるのはいささか蛙に失礼というものだ。
 端的に言って、蛙似の化物だった。
 まず顔面に左右対称な部位がない。眼球の位置は勿論、口のバランスすら崩れており、前衛的美術も驚きの構図である。
 ぬらぬらした肌には凹凸があり、色も黒色とうぐいすいろと濃紫色がまだら模様を成している。
 その化け物然とした姿を視界に収めて逃げ出さなかった人間は、今のところ、彼の相棒であるこの少女――黒岩芽依ただ一人だった。
 芽依は黙然と答えない。ともすれば闇に溶けるよう。
 それは巧みに気配を殺しているだけでなく、その出で立ちも一役買っている。
 肘まで覆うフィンガーレスグローブに、身体のラインに吸い付くノースリーブ。大胆なスリットの入った三層構造ティアードスカート、顔の輪郭を縁取るフェイスヴェール。すべて偏執的なまでに黒一色だった。
 黒曜こくようの双眸だけが、研ぎたての刃物を思わせるほどに輝いて見えた。
 芽依の鋭利な視線が雄弁に語る。冗談ではない、と。
 芽依は一睨みで蛙擬きの相棒を黙らせて向き直る。
 そこは小桜市の近代的な夜景を視界一杯に納めた空間が広がっていた。遮るものなど何一つない。前も、足下にすら。
 ただひたすら空がある。芽依は地上二二八メートルの超高層建造物『エストラントセンタービル』屋上のふちに立ちながら、恐れも知らず眼下に広がる深淵をのぞき込む。
 赤、青、緑、金――そして白。地上では五つの光が激しく瞬いていた。
 ごうごうと、ビル風は長い黒髪を吹き上げる。
 風鳴りが何かの悲鳴のように聞こえた。
 「そろそろ覚悟を決めなさい。私達にはこの方法しかない」
 並び立った怪物=相棒=ギリアムに冷たく言い放った芽依だったが、その実、これから自らが成さんとすることが、どれほど非合理的なものか理解していた。
 これが”黒岩芽依”の選択でなければ、他に幾らでも方法があったことだろう。しかし――
 “どんな言葉も、宝生ひかりには届かない”
 それが幾度も繰り返した思考実験の終着点だった。
 (正すために間違ったことをする。とんだパラドックスね)
 芽依は小さく唇を歪めてわらう。
 ギリアムはその瞬間を見逃さない。
 笑えない冗談より薄ら寒い場面で冷笑する様をこれまで幾度か目にして来たが、未だに理解しかねていた。
 <なぁメイ、アイツらはこの街を護ろうとしている。そりゃ完璧じゃないがな。だが犠牲を減らそうと努力しているのは確かだ。だから・・・・・・その、何だな。お前も協――>「私はジュエリストじゃない」
 芽依は耳障りな助言をぞんざいに切断。徐々に早まる鼓動を、左手でぎゅっと押さえつけた。
 「この街の命運を握ってるのは彼女たちだから――」
 そして、念じた。ここから先、一挙手一投足すべて自律的に動かすのだと。
 「――だからこそ、ここで叩く」
 そう言い残し、芽依はコンクリートの縁を蹴った。
 命綱など付けていない。重力に引かれ、闇の中を垂直に堕ちた。
 t=√2h/g
 瞬間、とある計算式が芽依の脳裏でフラッシュバック。
 ――約6.7秒。
 このビルの自由落下時、激突死するまでに許される祈りの長さ。
 E=(1/2)mv^2
 意味=運動エネルギーは速度の二乗に比例する。
 女子中学生程度の質量が垂直落下し、コンクリートの地面に激突した場合、生じるエネルギーの理論値は軽量トラックに正面衝突されるのと同等だ。
 トラックでも地面でも即死に違いないが、より悲惨な結果に至るのは後者だ。
 何故なら、地面は動かないから。生じた力はどこにも逃げられず、どこからでも余さず伝わってしまう。
 目を開くのも困難な爆風に打ち据えられると、授業では教えてくれない公式の裏に潜む恐ろしさに想像力を掻き立てられる。
 (絶対、跡形も残らない)
 祈るように瞑目する芽依。
 瞼の裏側に投射される、幼い頃テレビで見た西すいの落下実験――
 クレーン車から落とされ、駐車場のアスファルトに直撃した西瓜は、予想を裏切る木っ端微じん/皮と果肉がミキサーにかけられたような有り様。
 ――幼心に刻まれた衝撃的映像。
 豪風にあおられ、錐揉きりもみになっても場違いな感想をいだいてしまうには理由わけがある。
 死ねないのだ、この程度の高さでは。
 それどころか、怪我一つ負わず着地することさえ可能だが、それではこの位置取りをした意味がない。
 そう、これは芽依にとって『自殺』ではなく『戦術』なのだから。
 芽依が目を見開く/地上が迫る。
 「《宝石の輝きを我が手の中に(オープンジュエルグローリィ)》」風に飲まれる囁き。
 次の瞬間、芽依の手には一振りの短杖が収まっていた。
 (輝きが欲しい。あの新緑の輝きが!)
 一心の願いに、少女の刻印装具シールズである短杖《高貴なる白エーデルワイス》が呼応。柄に収まった銀色の小石が、眩い明緑色に輝き出した。
 一瞬にして体中から電子が沸き立った。
 芽依が強く想い描いたのは空を走る光の道筋――<現実を幻想で侵食>――寸分の狂いなく自身へ投射。
 真っ黒な夜空を、青白い閃光が引き裂いた。
 重力も、超音速の空気抵抗すら軽く無視してジグザグに爆進。
 四肢が散り散りになりそうな加速と、燃えてかいじんへ帰す熱量が同時襲来するも、それを実感するより早くに迫る古びた商業ビルの屋上。
 (ここッ!)
 芽依は強引に身体を反転――激突!
 着地の衝撃に堪えられず、コンクリートの地面に両足が深くかんぼつ
 亀裂が蜘蛛くもの巣の如く四散するなり、芽依は拳を弓なりに引いていた。
 背後の轟音に、標的=白いローブを纏った少女が振り向く。
 見開かれるヘブンリーブルーの瞳/踊るプラチナホワイトの髪。
 芽依はその背を目掛け、固く握り締めた右拳を放った。
 少女は左手をかざす。
 咄嗟の、反射的と言ってよいその挙動に、本来なら意義はなかった。
 フック気味に走る軌道を、何ら遮るものではないのだから。
 ところが、拳は宙で急停止。まるでそびえる壁を叩いたかの如く反作用を返した。
 負けじと力押しすれば、今度は青白い火花が散った。
 その光景は、金属板を電動工具で切断しているものと思わせる。ただし、火花の正体は燃える金属粒子でなく、空間接触によって不純化した《精霊力レイズ》だ。
 人界において極めて不安定な精霊力レイズは、接触したありとあらゆる物質を転質させるが、精霊力レイズ同士は《同質抵抗現象リペリング》に阻まれる。
 つまりは、この白ローブの少女も、芽依と同じ精霊力レイズを操る存在だった。
 「――誰!?」少女が問う。
 芽依は拳に更なる力と、鮮烈なまでの意志を込めることで応えた。
 火花は勢いを増した。だが、不可視の壁は揺るがなかった。
 こうちゃく状態に僅かばかり気を弛めた少女が堅い微笑を浮かべた。
 「君が何者か知らないが、我が《契約者パートナー》であるダイヤの《防壁シールド》はジュエリスト最強だ。この程度では破れん」
 重厚な声が、両者の間を割って入る。
 『ダイヤ』と呼ばれた少女は、すかさずほつれかけた緊張感を結い直した。
 すると、何かに気付いた様子で芽依は視線を落とした。
 もうきんの射抜くような双眸が、少女の右手に握られた分厚い辞典――正確には、その中央部に収まる大きな無色の宝石を捉えていた。
 「ダイヤ、注意しろ。どうやら彼女は我々の存在を知っている」
 宝石が、まるで意志ある者の如く警戒を促した。
 芽依はいたく感心する。瞬間の所作を把握しているだけでなく、こちらの状況まで読み取ったのだ。大した洞察力だと言わざるを得なかった。
 さもなければ、《霊子融合ユニオン》――ジュエリストの《刻印装具シールズ》と同化し、能力発現を補助する上級精霊の特殊能力――の恩恵かも知れない。
 芽依の力が彼女達と同質であること。それ故に、同質抵抗現象リペリングはばまれ、決着が長引くであろうこと。どれもギリアムから事前に教えられていた通りだった。
 そのとき、研ぎ澄まされた芽依の感覚が、近隣に展開していた四つの大きな気配の動きを捕捉。
 異変を察知したダイヤの仲間が、この場へ方向転換していた。
 芽依には時間がなかった。ここで割り込まれたら終わる。何も成し得ないまま、このささやかな反逆は幕引きとなる。
 そんなことになるならいっそ死んだ方がマシだと、芽依は内心で吐き捨てた。
 前面に展開された不可視の障壁に意識を集中/瞬く間に構造解析が完了。
 (・・・・・・!)
 芽依は不条理を訴える。ある程度予期していたとはいえ、ふざけた話だった。
 基本構造は三角錐状に編んだ精霊力レイズ。それをタイル状に規則正しく連結したものを、十層以上も不規則に重ねることであらゆる角度から入射した力を分散させる。
 柔軟性と剛性を両立させた不可視の壁は、最強の触れ込みが伊達ではないとこの上なく現し、ともすれば美しくすらあった。
 そして、真の問題は、芸術的な出来映えの幻想物クリエーシヨンではなく、それを一瞬で成立させる生成速度の方にこそある。
 芽依の完全な不意打ちが失敗した。正面に立った今となっては、どれだけ意表を突いたところではばまれることは必死だ。おまけに防壁は絶対的ときては手の打ちようがない。
 しかし、この程度の逆境で芽依の意志は削れもしなかった。
 (それも、想定の内ッ!)
 芽依は五指を開き、防壁の一点を押さえつけると、抽象的関係性――『黒岩芽依』と『宝生ひかり』で構造を強制的に《固定化フィキシング》する。
 瞬間、手の力は緩めていないにも関わらず、青白い火花が小さくしぼむ。
 芽依が連想したのは黒≒明確な悪意であり、暴走寸前の破壊衝動=触れるものすべてを飲み込む闇だ。
 全神経を利き手たる左手に集約・凝縮。すると、塗り固めた悪意によって、指先から肘まで黒く染まった。
 芽依は間髪を容れず突き出す。
 相手の心臓を狙って繰り出した手刀は、やはり不可視の壁にぶち当たる。
 だが、今度は感触が違った。相手の柔らかな部分に突き刺さる感触が確かに返って来た。
 壁――即ち、『定められた境界線』を、二人の関係性/曖昧さが侵食していた。
 「・・・・・・えッ!?」少女の動揺。
 「餓ぁ――」弾け飛ぶ芽依の手袋「――あ”ぁぁぁあ”ぁぁ!!」
 うっかりミキサーへ素手を突っ込んでしまったのかと錯覚するほどの激痛に襲われた。
 ところが、芽依は手を引くどころか更にねじ込んだ。
 無色透明だった防壁が、瞬く間に黒く染まっていく。
 「・・・・・・馬鹿な!!」
 宝石のきようがくが、辞典そのものを震わせた。
 しんえんと化した左手が、いよいよ防壁を突き破った。
 ダイヤは胸元で両手を交差させる。
 意思あって防ごうとしたのではなく、恐怖に身をすくめた十四才の少女の、本能的な回避行動だった。
 だが、それこそ芽依の狙いであった。
 芽依は無造作に差し出された獲物へ手を伸ばした。
 上品な薄桃色の包装に、金薔薇の美しい刺繍をあしらった辞典――《魔法設計書マジカルデザイナー》――その中央に収まった大きな宝石を掴んだ。
 瞬間、宝石が抵抗と拒絶を示すように雷火を放った。
 白光は文字通り光速で芽依の全身を焼き払う。そこに一片の容赦もなかった。
 その光の名を《聖光ホーリィ》という。穢れた敵を討滅するため、精霊自身の魂を力に変える禁呪であり、宝石に姿を変えた聖霊セイントの最後の手段であった。
 聖光は破邪の力だ。悪しき者には絶対的効果がある。
 しかし、黒衣は光に焼かれながら、変わらずそこに在った。
 「《決闘装束デュエルドレス)》と《聖光ホーリィ》は同質よ。私には通じない」
 せんしゆ聖霊セイントの矜持を切り裂き、宝石ベルケムを辞典からもぎ取った。
 バリンッ! と甲高い悲鳴。不可視だった障壁が一斉に砕け、白濁の花弁を散らすように舞った。
 「ベルケムッ!」
 ダイヤが契約者パートナーの名を叫ぶと、目にも留まらぬ速度で繰り出された蹴り足が、その横っ面に食らい付く。
 凄まじい衝撃に、ダイヤの身体が空き缶より激しく吹き飛ばされ、鉄柵を軽々突き破ってはビルの屋上からその身を躍らせた。
 「アナタはいつもそう。目の前の出来事から目を逸らす」
 長いスカートのスリットから伸びた芽依の白い素足が、ゆっくり闇に帰る。
 「まず一人」何の感慨もない成果報告つぶやき
 ぼたぼたぼたぼたぼたぼた――ボロ雑巾ぞうきんに成り果てた左手から、止めどなく血の滴が流れ落ちていた。
 手中に収まる宝石もまた鮮血に染まり、輝きを鈍らせる。
 芽依は痛みをこらえ、構えを取った。
 「――てんめぇぇぇ!! よくもダイヤを!!」
 側面から烈火のごとき気配が肉迫。
 最も近場にいた、紅玉ルビーの輝きをまとった少女が駆けつけたのだ。
 茜色の瞳を怒りに染め、薔薇ばら色の髪を振り乱しながら問答無用で殴り付けて来た。
 可愛らしいフリル付きミニスカートとは対照的な、物々しい重量感のある――《神の左手レフトハンドオブゴッド》――が猛る/荒ぶる。
 側面からのきょうしゅうに、芽依は黒衣の裾さえ揺らさない。
 (この子に真っ向勝負は厳禁)
 少女の茜色の瞳に、新緑の閃きが映る――一度きりの瞬き――標的であった黒衣が幻の如く眼前から消える。
 「ルビー! 後ろだよッ!」
 切迫した声は、明緑色の輝きをまとった少女のものだ。
 最も遠く離れていたにも関わらず、二番手で駆けつける俊足ぶりであったが、果たして警告は間に合わない。
 死角から襲い来る芽依の回し蹴りを、『ルビー』と呼ばれた少女は、耳よりも早く肌で察知。半回転からの肘打ちで相殺した。
 殆ど勘でしっかり当てたこと自体が十二分に驚くべきことだが、ルビーは更に肘に受けた反動を逆回転に利用し、振り向きざまに殴りつけてきた。
 轟ォ!! と、件の籠手がえた。
 まさしく。猛獣が牙を剥くが如し。気圧された芽依はその一撃を咄嗟のバックステップで逃れた。
 力任せの、大振りな一撃だ。幾ら相手の拳速が早くとも、先読みは幾らでも可能だ。パリィなり、スウェーバックで躱していれば、反撃の機会となり得た。
 だが、結果的に芽依は自身の感覚に救われる。
 目の前の空間が、唐突に爆ぜた。
 「ぐ――ッ!!」
 全身を巨大なハンマーで殴られたような衝撃に、身体ごと背後へ飛ばされる。
 まともに受けていたら、と想像するだけで背筋が凍った。
 想定を超える圧力プレッシャーを前に、芽依が見せた一瞬の逡巡しゅんじゅん
 その隙を突いて、雷光の煌めきが暗闇を駆ける。
 本能に突き動かされ、芽依はその場を離脱。交差するように何かが飛来。遅れて突風が巻き起こった。
 「うわっ、ペッ! ペッ! おいこらエメラルド!! これからってのに邪魔すんじゃねーよ! 口に砂が入ったぞ!」
 「二人とも、ケンカはダメ、だよ」
 芽依とルビーの間に、『エメラルド』と呼ばれた長身の少女が割って入っていた。
 高い頭身と、デニムのショートパンツからすらりと伸びた両足。モデル体型を強調するロングコートの裾が、ゆらりと生き物のようにうねっていた。
 風で舞っているのではない。エメラルドの無自覚に放出する電子群が、余りにも多量であるがため反発作用を引き起こしているのだ。
 芽依はこの十秒余りの攻防で、相手の実力とイメージとのギャップを実感する。
 遠くから傍観するのと、実際に対峙たいじするのでは雲泥の差があった。
 ジュエリストの少女逹は本当に怪物揃いだ。恐らく、最も倒しやすいと値踏みしていた青色の少女サファイアでさえ、見積もりが甘いのだろう。
 芽依は脳裏に響く警鐘に痺れそうだった。
 「もう、止めよ? 何で、こんなこと、するの?」
 エメラルドがおっかなびっくり問いかける。
 だが、芽依の意志は揺らがなかった。止められるものなら止めてみろと、剥き出しの敵意で刺した。
 エメラルドは怯んで一歩後ずさる。
 だが、次の瞬間には姿が消失/芽依の背後に出現。
 繰り出される下段回し蹴りを、芽依は脛でブロック――凄まじい衝撃+痺れ――肘から電流が走った。
 蹴られた位置の問題ではない。エメラルドの足先に流れる膨大な電流が、全身を駆け巡ったのだ。
 体神経の瞬断により、芽依の動きが僅かに遅滞。その隙を突いてエメラルドは間合いを詰めた。
 この溜めからの前蹴りは躱せないと芽依は即断。腕を交差させて防ぐ。
 電車かバスが激突してきたのではないかと思わせるその重さに、芽依の体は隣のビルに向け一直線に吹き飛ぶ。
 そして今、黒衣が鏡張りのビルの壁面に激突しようかという瞬間、
 「ごめんね・・・・・・」
 エメラルドが小さく詫びると、再び姿を消した。
 遅れて、バンッ!、と空気を豪打する爆音と、肌を焼く熱波が周辺ビルを一撫で。窓ガラスを一斉に叩き割る。
 超音速移動の副産物が破壊の嵐を吹き曝すより早く、弾丸と化したエメラルドは黒衣をその射程に捉えていた。
 芽依がビルの壁面に激突する直前、芽依が握った短杖の柄でエメラルドグリーンに輝いていたはずの石が、今度はルビーレッドに染まる。
 芽依は身体を捻り、ビルの壁面に
 横向きのベクトルを両手両足で相殺することで、瞬間的に体を宙に縫い止めていた。
 そして、芽依が壁を踏み付けると緋色の輝きが噴出。右腕がゆらり揺らめく。
 秒間四万回にも及ぶ共振によって生じた陽炎を振り払うように、拳を突き出した。
 その真紅染まった拳は、エメラルドが幾度となく目にしてきた仲間のものだった。
 エメラルドは驚愕に瞳を見開き、逆に芽依は双眸を細めて狙い澄ませる。
 二つの拳が交差した。クロスカウンターで互いの顔面に打ち込まれる。
 エメラルドは激震と共に元来た軌道コースを逆向きに吹っ飛んで行った。
 他方、芽依は殴り付けた姿勢のまま硬直し、直後に落下。手足をばたつかせる間もなく地面へ吸い込まれていった。
 そこはビルの十階に相当する高さだったが、地上二二三メートルから飛び降りても怪我一つない少女だ。タン、と軽やかな音を響かせ、難なく着地してみせた。
 芽依はすぐさまその場からの離脱を試みるが、手足の筋肉が痙攣けいれんし、思うように体が動かせない。
 「くそっ・・・・・・動け、動け、動けッ!!」
 逆撃カウンター狙いで付加属性プロパティを『分子運動制御モルモーション』に切り替えた判断は間違っていない。もし誤算があったとするなら、想像を超えた相手の突入速度の方だろう。反応したが、対応しきれず相打ちとなってしまった。
 一撃の重さは相手を上回っている。お陰でエメラルドはすぐに反撃に出れない。
 それに、ダメージ以外にも彼女の足を止める要素があった。
 (彼女が本当になら、仲間の能力を見せられて動揺しているはず。立ち直るにしても、もう暫く時間が――)
 芽依は不意に感じた気配に反応。首だけ振り向ける。
 すると、道路標識/一時停止マークが宙に浮いていた。
 鮫の顎で喰い千切られたように、標識の根本は先端を鋭く尖らせていた。
 標識は宙で半回転し、意思在る槍の如く芽依に襲い来る。
 突き刺される寸前、芽依は前方へ身を投げ出し、これを躱した。
 ガツン! と背後で打ち鳴らされる破砕音が耳朶を打った。
 アスファルトにめり込んだ標識が、歩道に生けた一輪の花のように見えた。
 不可思議な光景は続く。今度はワゴン車だった。
 車体が地表から三十センチほど浮かぶ様は、大昔の近未来図に描かれたコンセプトカーのようだったが、芽依の目には、ヘッドライトが睨みを利かせた金属製の猛獣に映った。
 芽依は痺れを残す両足に鞭を入れて、スカートの裾を大きく翻した。
 ビルの前の狭い道路を嫌って、大通りまで駆ける。
 すると、進行方向に白いセダンが待ちかまえていた。
 「これはあの子の――」
 相手の意図に想像を巡らせたその僅かな間に、大小無数の車両けものに八方を取り囲まれていた。
 迷う暇も与えられないまま、車両が一斉に襲いかる。
 まるで磁石同士が引き寄せられるが如く、信じられない速度で宙を飛ぶ車。車。車。
 悪夢のような光景のど真ん中に逃げ場などない。
 消去法によって芽依は直上へ逃れた。
 思うように動かぬ足での、辛うじての回避だった。
 直後、大迫力のクラッシュシーン/響く鋼の狂想曲。
 眼下に廃車の山が積み上がっていく最中、芽依は遠くの空に金色の輝きを目にした。
 そして、胸の位置で手刀を振るった。
 パキン、とガラスが砕けたような響き。
 ちらちら、ちらちら――金色の塵が宙を舞った。
 「五人目・・・・・・!」
 芽依の手刀が粉砕したのは、鍔の無い金色の細剣だった。
 刃渡りは約七十センチメートル。金属製ほんものではなく精霊力レイズで模倣した偽物フェイクであるが、その殺傷力は本物を凌駕する逸品だ。
 見上げた空は、無数の煌めきで覆われていた。
 未だ宙にある芽依に、これを避ける術はない。
 護るか、落とすか――二者択一を迫られた。
 ここまで芽依の選択は最善だった。実践経験の浅さを考慮するなら、正確無比と言っても過言ではない。
 だが左手の怪我と、神経を荒削りする戦局が、判断を曇らせていた。
 芽依は”回避”という第三の選択にすがった。
 想像したのはエメラルドの輝き。電子を操作し、自身さえも電子化して空を駆ける。
 間合いを取り、障害物に隠れ、奇襲からの一対一で仕掛けて離脱。
 頭の中では、市街地という地の利を最大限に活かした三手、四手先の状況までシミュレートされていた。
 しかし、最適な選択は、最悪の結果となって降り掛かる。
 パキンッと、軽やかな音を響かせ、杖に収まっていた小石がひび割れる。
 宝石のように輝いていた小石が、黒色のガラクタへと変わり果てた。
 「しまっ――」
 右手の揺らぎが喪失したところへ、金色の剣が驟雨しゅううの如く降り注いだ。
 万難を避ける魔法の傘を持たない芽依は、そのまま射られるよりなかった。
 金色の雨が止んだとき、諸々の車両は滅多刺しにされ、原形を留めていなかった。
 アスファルトに突き刺さった剣が立ち並ぶ様は、さながら無名の墓標といったところか。
 墓場に、ゆらりと立ち上がる影が一つ。
 深く裂けた黒衣と、そこから滴り落ちる鮮血が、軽傷ではないと物語っていた。
 芽依は毅然と顔を上げるが、フェイスヴェールが口元からがれかけると、慌てて手で覆い隠した。
 「我々に挑むというなら、顔を隠すような真似などせず、正々堂々と申し込みなさい。わたくしならいつでもお相手いたしますわ」
 丁寧でありながら、それ以上に冷厳とした口調が芽依を厳しく非難した。
 芽依の後方に、紺碧色をした髪の少女が立っていた。
 どうやらビルから落下したダイヤを回収したのは彼女のようだ。未だ気絶したままのダイヤを両手に抱え、敵意をはらんだ双眸を向けていた。
 「どうせヤるんだから何だっていいじゃん? サファイアっていちいちこまけぇーの」
 可愛らしい声とギャップのある男っぽい口調が口を挟む。
 信号機の上に腰掛け、芽依を睥睨する少女。
 青紫色のデニムジャンパーの中に着込んだパーカーのフードが表情を隠していたが、僅かにのぞく口元は大怪我を負った相手をわらっていた。
 少女の周りでは、六本の細剣が同意を示すかの如く、楽しげなステップを踏んで踊っていた。
 「アンバー、手出しは無用だと言ったはずです。貴女はいつもやり過ぎる。・・・・・・ネオアンガーの駆逐に回ってください」
 (・・・・・・琥珀色アンバー
 ――ドクン、ドクン、ドクン。
 芽依の周囲から雑音が消えた。
 なのに、こめかみを脈打つ鼓動がうるさかった。
 (・・・・・・金色の、剣)
 ドクッ! ドクッ! ドクッ! ドクッ! ドクッ!――
 芽依の心の奥底で身を潜めていた”黒い衝動”が、心臓の高鳴りに目を覚ました。
 ――カチリ。
 芽依の頭の中で、何かがはまった音がする。
 見開く黒紫色の双眸/散瞳する瞳孔。
 世界が真っ白に染まって、視界が一気に狭まる。
 唯一、悪戯っぽく笑う少女アンバーだけがはっきりと映った。
 「さぁ、これが最後の警告です。無駄な抵抗は止めて、決闘装束デュエルドレスを解除なさい。命までは取りません」
 サファイアが高らかに最後通牒を下した。
 芽依は無造作にスカートのポケットへ手を突っ込み、忍ばせた銀色の球を力の限り握り締める。
 「お前がぁぁぁぁッ!!」
 叫び、弾けるように飛び出した途端、芽依は体勢を崩した。
 驚いて腕を見やる。誰も掴んでなどいなかった。なのに感触が確かにあった。
 透明人間の存在を疑うより先に、芽依は眼前のサファイアに目を向けていた。
 両手でダイヤを抱えるサファイアの僅かに空いた手が、虚空を掴んでいた。
 常識的に考えて、それが何になる訳でもない。だが、芽依はサファイアの左耳のピアスが、青色に発光している様を見逃してはいなかった。
 サファイアがおもむろに引き寄せる仕草を見せた。
 それだけのことで、芽依は腕ごと引っ張られ、何かの冗談のように空を舞った。
 後方へ大きく投げ飛ばされながらも、芽依は短杖に銀球をはめ込み、強く念じた。
 (光。光だ。光が欲しい!)
 一つ、強く輝く光。
 一つ、秩序を宿す光。
 一つ、全て焼き払う光。
 すべて正しく。唯々、正しくあるよう、あらん限りの願いを込めた。
 そして、短杖の先端で恥ずかしげに閉じる蕾を、二人の少女達へ向ける。
 切なる願いに応えるよう、四枚の花弁が誇らしく花開く。
 「何をやろうと無駄です。この不可視の力は――」
 サファイアは芽依を押さえ込むため、今度は拳を握ろうとした。
 ところが、夜の闇を暴く鮮烈な白光がそれをはばんだ。
 花弁を取り囲むように廻る虹色の重環が、際限なく輝きを増していった。
 「それはダイヤの――? 貴女がどうしてそれを!?」
 悠然と構えていたサファイアが、初めて動揺を露わに。
 それもそのはずだ。ジュエリストの中で唯一の射手にして無二の火力を誇るダイヤの決め技が来ると分かって、心中穏やかでいられるはずがなかった。
 「くらえぇぇぇッ!!」
 芽依の咆哮に乗って、一条の閃光がはしる。
 光の速さでサファイアのすぐ脇を通り抜け、アスファルトと信号機、その背後にあった歩道橋と雑居ビルをなぞる。
 光の軌跡が真っ赤に膨れ上がり爆発/黒煙を噴いて蒸発。
 狙われたアンバーは辛うじて回避したが、周囲を囲っていた剣をすべて犠牲にしなければならなかった。
 もし掠りでもしていたら――、と想像を巡らせるだけで身が震えるほどの火力だった。
 「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
 全霊を込めた一撃に芽依が荒く息を吐く。その一方で、杖に収まった銀球は黒檀のように黒ずんでパラパラに崩れ散った。
 蓄積された精霊力レイズはまだ幾分かあったはずだが、全開出力フルスロットルの負荷に堪えきれず自壊してしまった。
 精霊力レイズの出力調整は芽依の戦術上、備蓄たま切れと並んで最も注意しなければならない制約の一つで、忘れたことなどなかった。
 しかし、今は”黒い衝動”が芽依を支配していた。
 (まだだ! まだ最後の一つがある! これで絶対に仕留めてみせる!!)
 芽依が最後の賭けに打って出る、まさにそのときだ。
 <馬鹿野郎! 何やってんだ、そんなことやってる場合かッ!>
 頭の中に、酷く耳障りな声が響く。
 芽依はその声を初めて耳にして以来、不快に感じない日は一度たりともなかったが、今のは最悪だった。
 (・・・・・・?)
 一体、何と言う酷い科白せりふか。所詮は人外の同族だと蔑み、『裏切り者』の烙印を焼き付けようとした。
 <さっさと引け。『目的は敵討ちじゃない』、『死んだ人間は還って来ない』、二つともお前の言葉だろう。お前は自分自身すら裏切るのか!?>
 ――
 それは、その行為は、芽依にとって、あってはならない、死より恐ろしい所行だ。
 知人、友人、親、教師――誰からも愛されず、誰から虐げられようとも、自分は――『黒岩芽依』だけは常に寄り添ってくれた。
 唯の一度たりとも裏切ったことはなかった。
 積み重ねた知識は実力ちからとなり、実力が授ける勇気と知恵とが、どんな苦難も退けた。
 何一つ、報われざることなどなかった。
 己が信念を貫けばいつか掴み取れる。その確信こそが、ここまで自身を導いたというのに、どうして裏切れようものか?
 胸の内の、真ん中にあって揺るがぬ軸が、黒い衝動に食い散らかされた自我を切り離すと、『彼女』の声が聞こえてきた。
 ――芽依。目標はもう十分に達成しているよ。これ以上は無意味、というか無理。
 彼女は他人事のように芽依を語る。
 ――無益どころか大赤字で、そろそろ倒産が見えそうなんだけど。どうする?
 どうするもこうするもなかった。芽依は速やかに戦術あたまを切り換えると、呟くように相棒へ呼び掛けた。
 「目標完遂。撤退するわ。ギリアム、援軍をお願い」
 <了解した。それにしても援軍だぁ? 本当にお前の頭はどうかしているな>
 ギリアムは皮肉を賞賛でラッピングして応える。
 それが幾分か軽快だったせいか、芽依はいつもの不快感が小さく感じられた。
 「大丈夫か、お前ら!」
 遠巻きからルビーが姿を現し、叫んだ。
 エメラルドをその肩に担いでいたが、凄惨な状況を目の当たりにした途端、獰猛どうもうな気配を全開に。
 勢い、怪我人を放り出しかねない雰囲気のルビーが一歩前に踏み出すと、唐突にサファイアの方へ顔を向けた。
 声もないのに、あちらから呼ばれたような仕草だった。
 そうして暫し押し黙ると、今度は不自然なまでに落ち着きを取り戻していた。
 「そうかい、さっきのはやっぱソイツか・・・・・・こりゃなんとしても、とっ捕まえなくちゃな」独りきりごちる。
 何とも違和感のある仕草だったが、今の芽依にそこまで注意を払う余裕はない。
 左手の指先の痛みは鮮烈だというのに、感覚を無くしかけていた。
 そもそも、雷撃による麻痺まひは完全に回復していないし、剣雨で受けたダメージも深刻だ。
 満身創痍そうい四面楚歌そか。とっくに詰んでいる。この状況でよくぞ戦い続けようとしたものだ。
 無知と無自覚ほど恐ろしいものはない。芽依は自虐的にわらった。
 そして、手中に収めた宝石ベルケムの感触を確かめつつ、三度構えを取る。
 無論、戦う為ではなく、あくまでこの場から離脱するための振り(ポーズ)だ。
 不屈の闘志を見せる敵を前に、アンバーは視線を宙に投げていた。
 余裕の現れか、それとも油断を誘ってのことか。芽依が判断つきかねていると、
 「へぇ・・・・・・逃げんの? まぁ、逃がさねぇけどな」
 僅かばかり思案顔を見せたアンバーが、実に的確に芽依の選択を読み取り、呼応するように、ルビーがゆっくり間合いを詰めだす。
 (戦術が、読まれた・・・・・・?)
 ポーカーフェイスは保っていたし、フェイスヴェールもとっくに修復済みだった。幾ら状況が悪くとも、こうも簡単に気取られるはずがない。
 ましてこの二人が呼吸を合わせるとは、とてもではないが考えられない。
 何かがおかしかった。芽依がその正体に思考を巡らせると、即座に二人の不自然な所作に行き当たる。
 ルビーやアンバーが見せたあの間。見ようによっては、誰かの話に耳を傾けているように見えないだろうか?
 直感に従って視野を広げる。視界の端に、青石の小さな輝きを見た。
 「まさか、あの子の力は・・・・・・」
 芽依はサファイアが物体を飛ばす場面ばかり見ていたものだから、てっきり重力制御の類だと思い込んでいた。
 などという非科学的な力学は体現できるはずがない――ジュエリストという非科学/擬科学の舞台へ足を踏み入れながら、そんな先入観に捕らわれていたのだ。
 今の芽依には、サファイアの力の本質が理解できた。それでルビーやアンバーが意識を合わせている理由もはっきりする。
 事実、思考を読んでいるのだ。正確には、サファイアが芽依の思考を読み取り、二人はそれを受け取っている。俗に言う、精神感応作用テレパシーというやつだ。
 精神感応作用も念動力サイコキネシスも、本質は『思考の物質化と転送』だ。
 ジュエリストの少女達の中で芽依が唯一、納得する表現ができずにいた能力だったが、判ってしまえば何ということはなかった。
 (私の刻印装具シールズなら確実に再現できる)
 芽依の結論を追うように、赤と金の輝きが突進した。
 正面はルビー。薔薇ばら色の豊かな髪を乱し、低い姿勢でジグザグに駆ける。
 上空からアンバー。琥珀色の双眸をらんらんと輝かせ、空を滑るようにせんを描く。
 ジュエリストによる上下の挟撃きょうげき。一人を相手にするのも難しいというのに、連携されたら対処のしようがない。
 絶体絶命の場面のはずが、芽依は極めて冷静だった。
 同時だが同期リンクしていない。サファイアの統制による連携でなく、スタートが同時であるだけの駆けっこだと、一瞬にして見抜いていた。
 敵の――ジュエリストの少女達の能力は個々が恐ろしいまでに強大だ。
 しかし、幾つかの致命的な欠点を抱えていることも芽依は知っていた、
 その一つがコンビネーションの拙さである。芽依が観察した過去の戦いにおいて、組織的な動きは殆ど見られなかった。
 個々の力が飛び抜けているから軽んじているのか、それとも別の理由から指示系統が確立できないからか。
 いずれにせよ、最適化されていない彼女達の戦いやりかたは、芽依に言わせれば唯の『モグラ叩き』だった。
 本来の前衛アタッカーであるルビーの出足が僅かに遅い。アンバーに遅れまいと必死だ。
 そして、アンバーから放たれる殺意は本物だ。こちらは刻まれた恐怖の報復を狙っている。
 小細工はない――そう判断した芽依は、鮮血に染まった宝石ベルケムを薬指と小指で握り込む。人差し指と中指でスカートのポケットから最後の銀球を摘まむと、《高貴なる白エーデルワイス》の柄に押し込んだ。
 穴の周囲にある四つの爪が、銀球エモノをがっしりと咥え込む。
 芽依が思い描いたのは清廉なそうきゅうだ。
 どこまでも突き抜けるようなあお
 虚空/自由の象徴/皆の憧れを抱く。
 純心/清廉な空気/私の穢れを癒す。
 透明な想いに呼応するように、銀球は蒼く輝きを放った。
 すかさず芽依はその場で膝を折って水平蹴りを繰り出す。
 だが上空のアンバーはさることながら、ルビーさえ間合いにない。
 にも関わらず、ルビーは不可視の物体に足を払われていた。
 「はぁっ!?」
 足下と地面の間に隙間が生じた瞬間、ルビーは何かに足を掴まれ、逆さ吊りになっていた。
 慌てふためくルビーを無視してアンバーが芽依に肉迫。間合いに入るなり、手にした細剣で刺突を繰り出す。
 芽依は半身を回して躱しつつ、手にした短杖をぐっと胸へ引き寄せた。
 アンバーは初手からの返しで、切り払いに繋げるが、そこへ予期せぬ襲撃。
 「うおぉぉ!?」ルビーが手を突き出す。
 「な、ぁ・・・・・・!?」アンバーの手が止まる。
 芽依に引き寄せられ、真っ赤な弾丸と化したルビーが、アンバーと激突。
 揉みくちゃになってアスファルト上を転がる二人の少女を尻目に、芽依は想像ビジョンを切り替えた。
 清廉な青が、目映い新緑に置き換わる。
 すると、エメラルドが遠巻きから芽依を呼び止めた。
 「待って! 貴女は誰? 六番目のジュエリスト、なの? ・・・・・・だったら私達と戦って、一体何がしたいの!?」
 「アナタ達、現状に満足してるの?」
 フェイスヴェールに包まれた口元からこぼれ落ちた小さな疑問。
 辛うじて拾ったエメラルドが、どうにか対話の道を拓こうとその言葉の意味を噛み砕こうとするが、不吉な影がそれを遮った。
 気付けば、泥の塊のような不定形の黒いシルエットが、辺り一面に漂い始めていた。
 影には血のように赤い線や斑点がついており、それが眼球や経口といった器官を思わせたが、本当に用途が同じかどうかは不明だ。
 何せ奴らは同一の形状をした個体が一つたりとも存在しない。自身ですら、動いては溶け、分裂と増殖を繰り返えしていた。こうなると種どころか個があるかも疑わしい。
 形容がこの上なく困難でありながら、目にした時には間違えようのないおぞましさを持った怪物、それが『ネオアンガー』の総称で一括りにされる存在だった。
 「ネオアンガー? もう復活したの!?」
 エメラルドの口から、本当に聞きたかった事とは別の言葉が突いて出た。
 事は彼女達”ジュエリスト”が、『従属体』と呼ばれるネオアンガーの複製を殲滅せんめつしている最中だった。
 制御機能を持つ『中央制御核セントラルコア』を討滅しない限り、いつ復元してもおかしくはない。
 だが、その速度がエメラルドの予想よりずっと早い――いや、早すぎた。
 「遅すぎる」
 エメラルドとは対照的な芽依の所感。
 「数少ない手駒なんだから、もっと迅速に呼んで欲しいものね」
 芽依の独白に、憤りに駆られた濁声が応じた。
 <無茶言うんじゃねぇよ。これでも呼び寄せるだけで一苦労なンだぞ。それとネオアンガーを”援軍”とか”手駒”なんて呼ぶな。同列にされるといい加減吐き気がするぞ!>
 「自分を下僕として扱ってくれだなんて・・・・・・ギリアム、アナタって本当に被虐趣味ね。まったく度し難い」
 「度し難いのは手前ぇの頭だ。その状況でふざけている場合か?」
 軽口を叩いていても、芽依に抜かりはない。体勢を立て直したルビーとアンバーを差し置いてでも、遠く離れたエメラルドの観察は一瞬たりとも怠っていなかった。
 目の前の敵か、周囲に展開つつある敵か、優先度を付けかねている心理が手に取るように伝わってくる。
 芽依は迷走し始めたエメラルドの思考に追い打ちをかける。
 距離の離れた相手にも伝わるよう、ゆっくりと大きく後ずさった。“これから逃げるぞ”という分かり易い意思表示だ。
 撤退に全力を注ぐ芽依を捕捉可能なのは、五人のジュエリストの中で、実質的な速度で芽依を上回るエメラルドだけだ。
 単純な競走では間違いなく相手の追撃を振り切れないし、視界に収まる程度の間ではハンデにもならない。そこには努力や精神論では越えられない現実かべがあることを芽依は痛感していた。
 だが裏を返せば、彼女の動きさえ封じられたなら、この場から離脱することは然程難しくないとも言える。幸いにして、芽依は彼女の弱点せいかくを知っていた。
 優柔不断――この長身の少女ゆめのは、咄嗟の判断に迫られると行動にブレーキを掛ける癖がある。それも特に他人事となると顕著だ。
 芽依は焦慮を炙り出すようじわじわ動く。追い詰められた立場のはずが、まったく焦っていなかった。
 むしろ、膠着状態にじれたのは仲間ジュエリストの方だった。
 「何をしているのですエメラルド! 早く捕まえなくては逃げられてしまいますわ!!」
 一同を代表するようサファイアが檄を飛ばす。
 「で、でもッ! ネオアンガーが・・・・・・それにダイヤもいないし、アタッカーがルビーだけじゃサファイアだって――」「そちらは何とかします! そんなことよりも彼女の身柄を――」
 サファイアが更にあおり、エメラルドの意識が完全に削がれた瞬間を狙い澄ませ、芽依は息を殺すように溜め込んだ力を一気に解放した。
 まとった新緑の輝きが数倍に膨れ上がると、《電子操作エレクトロン》によって磁力を足先へ集中させ、地面を蹴った。
 反発力が推進剤となり、黒衣がリニア列車のようにアスファルトの上を後ろ向きに滑った。
 そして、大きな交差点へ差し掛かる。信号は赤色とまれ
 慌てて追いかけようとしたエメラルドがはっと息を呑む。
 芽依の進路を塞ぐように、何台も車両が交差点内で衝突事故を起こしていた。煌々と火柱を上げ、真っ黒な噴煙を巻き起こしていた。
 事故の中心には大型のタンクローリーがあった。未だ引火はしていないようだが、電磁力を帯びた状態の芽依が激突してなお、誘爆しない保証はなかった。
 誰もが業火に焼かれる芽依の姿を幻視する。
 タンクローリーに激突するかと思われた直前、芽依は勢いをそのままに前へ倒れた。
 地表約五センチメートル。地面と体を水平に、地面で顔を擦り下ろしそうな距離を滑るように進み、タンクローリーのタイヤ間、そして床底とくぐり抜けた。
 刹那、タンクローリーに積載した揮発性ガスが大爆発を起こし、寄りかかるように並んでいた事故車を一斉に吹き飛ばした。
 大きく膨れ上がった爆炎の熱波と、腹に響く重低音とが、遠く離れた少女達を打った。
 これで片が付いたなど、その場の誰一人として考えていなかった。
 むしろ、黒衣の少女が再び立ち塞がるであろう予感を覚えずにはいられなかった。
 「なんて、無茶苦茶な子・・・・・・」
 「ははっ、面白れー。いいね、いいね。次は絶ッ対ぇーアタシが仕留める」
 エメラルドが呆然と呟けば、ルビーが揚々と意気込む。
 「五対一・・・・・・あたくし達の完敗ですわね」
 燃え上がる車道を眺めながら、サファイアが淡々と呟いた。
 一体どれだけの自信と覚悟があれば挑む気になれるだろうか? 僅かに思案し、すぐに止めた。
 どれだけ条件を重ねたところで、そんな望み薄の勝負に挑む気にはなれそうもなかったからだ。
 「ごめんなさい、ひかり。ベルケムは取り戻せませんでした」
 サファイアは唇を噛み締め、両手に抱いた未だ意識の戻らぬ少女/ダイヤに謝罪した。

 月明かりも届かぬ路地裏で、影が大きく揺らぐ。
 闇と同化した芽依は、ぐらつく身体をビルの壁に押し付けることで、どうにかバランスを保つ。今にも倒れそうな具合だったが、芽依のプライドがそうさせなかった。
 芽依は口元を覆うフェイスヴェールを乱暴に毟り取る。
 真っ直ぐ整った鼻梁と薄い唇を露わに、手にした黒布を無造作に放る。
 すると、地に振れるより前に、黒布は黒霧のように霞んで消えた。
 芽依は荒い呼吸を繰り返した。酸素を求める悲鳴が体中から上がっていた。
 今にも爆発しそうな胸の鼓動を、鷲掴みにして押さえ込み、そして可能な限りゆっくり息を吐き出した。
 そして、静かに目を瞑る。
 日頃の習慣というのは恐ろしいもので、考えるより病院に駆け込んだ方が早いと判りきっていても、状況を把握したがった。
 口内に充満する鉄の味――問題なし。
 こめかみを脈打つ頭痛――問題なし。
 押し寄せる嘔吐感――やや問題あり。
 じくじくと痛む手――かなり問題の模様。
 あまりの痛みに、無視すら不可能な問題にもあくまで立ち向かおうとする。
 まずは文字通り目も当てられない――直に目を向けたら、そのまま卒倒するかもしれない傷に触れてみる。
 「ぁ、ッ――!!」
 思わず絶叫しそうになったが、懸命に歯を食いしばった。
 もう近くにはジュエリストの少女達の気配はない。
 だが、気を抜くわけにはいかなかった。
 ジュエリストは何でもありだ。どんな魔法や奇跡を使って来るか知れたものではない。
 ややあって芽依は覚悟を決めた。かっと目を見開き、自らの手を直視した。
 つい数秒前、鋼鉄にまで高めたはずの意識が脆くも崩れ去った。
 血の気が一気に引いて、気が遠くなりかける。
 はっきり言って、自分の一部とは思えないオブジェがそこにあった。
 爪や上皮がめくれ上がり、肉が削げ、白っぽい骨だか関節だか判らないものが飛び出しているのがはっきりと見て取れるのだ。
 決闘装束デュエルドレスを初めてまとったとき、細部までクリアに映る視界に感動すら覚えたものだが、このときばかりは弱視の方が良かったと断言できた。
 「早く病院に行った方が良い。それだけの傷だ、大事になるぞ」
 腰の辺りから、声楽者バリトンを思わせる声。
 短杖に嵌まった血みどろの宝石が、芽依に語り掛けてきた。
 「・・・・・・助言、痛み入るわ。でも、その必要はない」
 言うなり、芽依は右手の指無し手袋を口端に咥え、はぎ取ってしまう。
 グローブを吐き捨て、息を深く大きく吸い込んだ。
 そして細く、長く、息を吐く。
 ちりぢりになった神経を束ね、紡ぐように、唯の一点に向けて尖らせる。
 芽依がイメージしたのは過去の左手。健全な右手を基盤に、無惨な左手に肉を添え、神経を繋ぎ、皮を張り、血を通わせる。命の営みをより微細に、より生々しく定めていく。
 無論、それは芽依の頭の中での話であって、現実は違った。
 空想通り都合良く治癒されたりはしない。あるいはジュエリストの少女達ならば、そんな鮮やかな奇跡も容易なのか判らない。
 芽依に許されるのは、理想からかけ離れた、無骨で、滑稽こっけい極まりない奇跡でしかなかった。
 芽依の手から滴る血がどす黒く濁った。流体はすぐさまゼリー状となり薄膜を張った。やがて左手を覆い、徐々に硬化していった。
 「・・・・・・!?」
 驚愕――だろうか? ベルケムの気配の変わりようが、あたかも息を飲むようだった。
 精霊は宝石に姿を変えていても周辺情報を正確に拾える。そのことは、先の戦いの中ではっきりしている。その驚きようは、間違いなく芽依に起きた変化を感じ取ってのことだ。
 黒く固まった血液が完全に定着し、芽依がそれを確かめるように爪の先でコンコンと叩くと、左手は石膏で固めたような白色に変化した。
 外見はマネキンの繊手せんしゅとでもいったところか。いずれにしても、人の柔らかさや暖かみからはかけ離れている。
 「・・・・・・今の私にはこれが精一杯ね」
 芽依はやれやれといった感で自嘲する。
 そこに在ることが当たり前の存在であっても、実体を想像するというのは、人が考えている以上に困難を極める。
 芽依もその点は留意し、体の隅々まで記憶に刻んでいたが、現状のスキルでは完全再現までは至らない。よく言って模造品といった仕上がりだ。
 ただそんな不完全な代物であっても、異界の住人を驚嘆させるのには十分なパフォーマンスだったらしい。
 「君は一体・・・・・・何者だ?」
 宝石は問う/少女はわらう。
 「市立白月中学二年C組、黒岩芽依――どこにでもいる、至って普通の人間よ」